【伝説のヴィーガンランナー(完全菜食主義者)、注目の書の翻訳版!】
本日の一冊は、伝説のウルトラランナー、スコット・ジュレクによる『NORTH 北へ~アパラチアン・トレイルを踏破して見つけた僕の道』注目の書の邦訳版です。
スコット・ジュレク(Scott Jurek)は、1973年10月26日生まれ、188cm、75kg。1999年から2005年まで、伝統あるウエスタンステーツ・エンデュランスラン7連覇。2006年から2008年までスパルタスロン3連覇。バッドウォーターウルトラマラソン2連覇(50℃近い気温の中で行われる217kmのレース)、24時間走のアメリカ記録樹立(266,677km)。フルマラソンの自己ベストは2時間38分。
これまでに数々の伝説を作り続けてきた、アメリカで最も有名なウルトラマラソンランナー。「肉や乳製品・卵などを食べない」ヴィーガンランナー(完全菜食主義者)としても知られ、2013年に発売された一作目、『EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅』は、食べること、走ること、そして生きること、について独自の見解を語り、世界21カ国語に訳されベストセラー。
今作では、2015年7月12日にアメリカの14州にまたがる3,522kmのアパラチアン・トレイル(略称AT:長距離自然歩道)の最速踏破記録に挑んだときの様子を綴っています。
※参考:『EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅』
極限の挑戦を通じて、スコット・ジュレクとはどんな人物なのか。挑戦から学んだこととは何か。旅の道中にはどんな「トラブル」や「出会い」があったのか――。
スコット・ジュレクが、アパラチアン・トレイル最速踏破記録に挑んだことはランニングメディアなどを通じて知っていましたが、北から南へと向かった方が簡単なのに、<春を感じながら走りたい>という理由で、あえて困難な南から北へと向かったことは知りませんでした。
<予想どおり、上から目線で説教をする人もいた。「ATはハイキングのためのトレイルだ。レースはトラックでやりなさい」「足をとめ、バラの香りを嗅ぐのを忘れないように。」もっと個人的な攻撃もあった。「彼はもう終わってる」「数日間、走り続けた経験もないくせに」>
<僕やほかの大勢のトレイルランナーがランニングシューズの靴紐をぎゅっと結び、最小限の用具だけをいれたランニング用のコンパクトなバックパックを背負い、トレイルを走っている姿を目撃すると、まるで格好をつけた異教徒の群れがいるように思うのだろう。>
国内で「トレイルランナーと登山客に険悪ムード、共存の道は」といった走る人とと歩く人との間でのマナー問題について一時期ニュースで取沙汰されましたが(トレイルランブームの落ち着きとともにそうした問題は最近すっかり耳にしなくなりましたが)、上のエピソード分を読んで「世界中、問題はどこも同じなのだな」と思いました。
<ウォーレン、言いたいことはわかるけど、みんながみんな歩きたいわけじゃない。好きなスピードを選ばせてやれよ。>
トレイルでは、歩きたい人もいれば、走りたい人もいる。自分をその土地の門番のように思い、トレイルランナーたちのことが不満でならず、よく苦情を言いたてる人へのスコットの一言、本人批判をせずストレートに言い伝えており、痛快です。
スコット・ジュレクが40歳を機にレースに参加することから身を退くと話したときには多くの人が驚きましたが、その心の葛藤についても書かれています。
本書を読むことで、今回のチャレンジは単独によるものではなく、多くの仲間(スコットと並走したいファンのランナーを含む)、特に奥さんの献身的なサポートがあってはじめて成し遂げることができたという事実に読者は気づくでしょう。
訳者あとがきを含め350ページを超える分厚い本ですが、翻訳が秀逸で読みやすく、読ませる文章で、つい読むのをやめるタイミングを忘れてしまうほどのめりこみました。
登場人物が多く、またスコットが語っているのか、奥さんが語っているのかがわかりずらく、スコット=ジャーカー言葉が入り乱れる場面が度々あり、その点については読みづらさを感じましたが、人気のハイキングコースで、そうした人々との出会いも含めて書いているので仕方のないことかもしれません。
読みながら、スコット・ジュレクと一緒に旅をしている気分になれました。
ぜひ、読書や洋書の邦訳版が苦手な人にもおすすめできます。
特に、印象に残ったエピソードや言葉の一部をご紹介します。
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未知の土地に行き、まったくなんの計画も立てずに走るというアイディアに、僕はすぐさま夢中になった。
祖父はよく「自分の土地を知るには、すみからすみまで歩くのがいちばんだ」と語ったものだ。
なぜなら、僕が40歳で、限界まで自分を追い込み、その限界を超える感覚をもう一度実感する必要があるから。なぜなら、僕は自分がもてるものすべてに心から感謝していて、だからこそ束の間、なにひとつない状態がどんな感覚かを思いだす必要があるから。
「まだしたいことはいくつかあるけど、永遠に続けるつもりはないよ。40歳になる頃には引退するつもりだ」
なぜ北に走るのかという疑問に対する僕の唯一の答えは、小っ恥ずかしいほど風変わりなものだった。春を感じながら走りたい、だ。
予想どおり、上から目線で説教をする人もいた。「ATはハイキングのためのトレイルだ。レースはトラックでやりなさい」「足をとめ、バラの香りを嗅ぐのを忘れないように。」もっと個人的な攻撃もあった。「彼はもう終わってる」「数日間、走り続けた経験もないくせに」
僕やほかの大勢のトレイルランナーがランニングシューズの靴紐をぎゅっと結び、最小限の用具だけをいれたランニング用のコンパクトなバックパックを背負い、トレイルを走っている姿を目撃すると、まるで格好をつけた異教徒の群れがいるように思うのだろう。
たしかに大半のハイカーより一日に進む距離は僕のほうが長いけれど、トレイルで起きている時間もはるかに長い。だからこそ、陽射しがある日中も、夜の帳(とばり)に包まれたあともトレイルとそこに棲む生物たちの姿を楽しむことができるんですよ、と。
ウィルは僕より先を走り、痛み止めのイブプロフェンを携行しているハイカーを探しにいった。僕が鎮痛剤を携行していないことを知ると、ウィルはえらく驚いた。僕はそれまで一度も痛み止めを使ったことがなかったのだ。
これまでのところ、ジャーカーが10マイル(16キロ)走るたびに、私は30マイルの距離を運転しなくちゃならなかった。
違う、次回はもない。最初で最後の挑戦が、もう終わったんだ。
ウォーレンは自分がATの門番のような役割を担っていると考えていて、どういうわけかトレイルランナーたちのことが不満でならず、よく苦情を言いたてた。おまけにハイカーをけしかけ、トレイルランナーにケンカを売らせるのも好きだった。
ウォーレンにしてみれば、僕たちは彼の世界への闖入者にすぎないからだ。彼はATのこのあたりのセクションを偏愛していて、その激しい情熱が歳月を経て強い所有者意識へと凝り固まってしまったんだろう。つまり、彼は、ATに対して一種の脅迫観念に駆られるようになった人間の好例だった。こうした例はネットの世界でもトレイルの世界でもよく見られた。
ウォーレン、言いたいことはわかるけど、みんながみんな歩きたいわけじゃない。好きなスピードを選ばせてやれよ。
ここまで————————————————
【伝説のヴィーガンランナー(完全菜食主義者)、注目の書の翻訳版!】
管理人:大阪府生まれ。トレイルランナーズ大阪代表、米国UESCA認定ウルトラランニングコーチ。2012年に起業、日本では数少ないマラソンとトレイルランニングの両面を指導できるランニングコーチ、マラソン作家。指導歴12年で、初心者にもわかりやすい指導と表現で定評がある。
自身も現役のランナーで過去15年間で100大会以上に出場をし、ランニングを通じて日本中・世界中を飛び回るという「夢」を実現し、28か国30地域のレースに出場。
2012年から『はじめてのトレイルラン』教室を開講し、1万人超が体験する人気に。山でのマナーや安全な走り方の啓蒙活動にも注力し、グループで走る楽しさを伝え続けている。2024年10月にAmazon(アマゾン)より電子書籍『極寒!はじめての北極マラソン』を初出版。